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「ほどほどの人生」が望みづらくなった時代だからこそ、立ち止まって考えよう、と訴えるフリードマン。その真意とは?(写真:Fast&Slow / PIXTA)

小学2年生の子どもに「ジャーナリストって何する人?」と訊かれた。子どもの質問はおそろしい。ハシゴを外されるとか背中から撃たれるとか、サラリーマン生活における不意打ちには慣れているつもりだったが、思いがけない方向から簡単には打ち返せないボールを投げてくる。

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真っ先に浮かんだのは、「政府が悪いことをしていないか見張る仕事だよ」といういかにも教科書的な回答である。だが子どもは嘘を見抜く。いくら権力の監視役を自任していても、残念ながら会見で政治家を立ち往生させるような鋭い質問をする記者などほとんど見かけない。「そんな人、いないじゃん」と言われて終わりだろう。

あれこれ考えた挙句、こう説明した。「いろいろなところに行って、たくさんの人の話を聴いて、まだ誰も気がついていないことを発見するのが仕事だよ」

この定義が正解かどうかわからない。だがこの時、具体的なジャーナリストの名前が念頭にあったのは確かだ。それはトーマス・フリードマンである。

「世界に輪郭を与える」ことば

フリードマンのこれまでの仕事をひとことでまとめるなら、「世界に輪郭を与えること」と表現できるかもしれない。『レクサスとオリーブの木』では、国家の論理に代わりグローバリゼーションの論理が世界を動かしつつあることを示し、『フラット化する世界』では、個人すらもグローバル化する新しい時代の到来を「フラット化」というわかりやすいキーワードで表してみせた。

「これまでと同じようにやっているのになんだかうまくいかないぞ」とか、「一生懸命働いても儲からないのはおかしいな」といった人々が抱く漠然とした違和感に対して、「それはね、世界がこう変わったからなのだよ」と新しい世界像を示してきた。そのいささか楽天的な分析に異論はあっても、フリードマンが世界を大掴みする能力に長けていることは衆目の一致するところではないだろうか。

さて、ならば新刊『遅刻してくれてありがとう』でフリードマンは、私たちにどのような新しい世界の見方を提示しているのだろうか。


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