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1995年3月の地下鉄サリン事件後、オウム真理教の施設にいた100人以上の子どもが全国の児童相談所に一時保護された。学校に通わず、特異な教義の下で集団生活を送っていた子どもたちに児相はどう対応したのか。最多の53人を一時保護した山梨県の記録などから、その実態に迫る。
この連載は全3回です。
このほかのラインアップは次の通りです。
第2回 「カビ生えたまんじゅうも食べた」過酷な修行 両脚縛られる罰も
第3回 「げんせのバカバカ」消えぬ教団の記憶、家族再会に喜びも
「今から捜索を開始します」。95年4月14日午前8時、山梨県中央児童相談所に、県警から連絡があった。この日、警察当局は全国の教団関連施設約120カ所を一斉捜索。山梨県旧上九一色村(現・富士河口湖町)には「サティアン」と呼ばれる拠点が複数あり、児相側は保護が必要な子どもの受け入れ準備を進めていた。ただ、その規模は直前まで分からず、当日も「25人」「50人」「75人」と情報が入り乱れた。
午後3時前、子どもを乗せたバスが児相に到着。県警機動隊の誘導で、正面玄関につけられた。報道陣が構えるカメラのフラッシュやライトが光る中、警察官に抱きかかえられた子どもたちが次々に降りてきた。その数は53人。ヘッドギアと呼ばれる装置を頭にかぶっていた。
多くの子どもは着くなり「おしっこ!」と言い出し、職員らは慌ててトイレに並ばせて採尿した。その後、おもちゃなどがある「プレールーム」に集め、健康診断に移った。
この日は肌寒かったが、多くの子どもはTシャツ1枚で裸足。服は汚れ、足の裏は真っ黒だった。職員がヘッドギアを取るよう促すと素直に応じた。
自ら立てない子が1人いた。毛布の上に寝かされると、弱々しい声で「ここは現世?」と職員に尋ねた。職員が優しく頭をなでると「触るな、だめなんだ」と起き上がる。頭部は神聖なものと教団で教えられていた。
健康診断の結果、8人が肺炎の疑いで入院。身長が同年代の平均値を下回る子どもは53人中47人(88・7%)に上った。標準成長曲線を大きく下回る「低身長」の子は9人(17%)。同年代の平均値より15?24センチほど低く、実際の年齢より3?4歳下に相当する。
ほとんどの子どもは透き通るような白い肌だった。教団が毒ガス攻撃を受けていると信じ込まされ、ほとんど外に出られなかったからだ。「貧血あり」または「栄養不良」と診断されたのは25人(47・2%)。
子どもたちはプレールームでおもちゃを手に大騒ぎだったが、「これって誘拐じゃないの」と話し合う声も聞こえ…