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戦後、沖縄初のアナウンサーとして活躍し、東京沖縄県人会の最高顧問でもある川平朝清さん(96)=東京都港区=の長寿を祝う沖縄の風習「カジマヤー」が、千代田区のホテルニューオータニで盛大に開かれ、約500人が集った。
沖縄では旧暦9月7日(今年は10月21日)に「カジマヤー」と呼ばれる数え97歳を盛大に祝う風習がある。カジマヤーは沖縄方言で風車の意味。川平さんの祝いは一足先に「敬老の日」の今月18日に開かれた。都内でこれほど大規模なカジマヤーの祝いが催されるのは大変珍しいという。
川平さんが3人の息子と共に入場すると、大きな拍手が湧いた。舞台では、長男でフリーキャスターの慈温(ジョン・カビラ)さんが川平さんの歩みを紹介。その前に父の元に歩み寄り、ぎゅっと抱きしめた。
1927年に台湾で生まれた川平さんは戦後の46年に沖縄に。米軍占領下の沖縄で兄と共にラジオ放送開局に尽力し、初代アナウンサーを務めた。米国留学を経て琉球放送のテレビ開局に奔走。沖縄放送協会(OHK)会長を務め、72年に沖縄の施政権返還と共にOHKをNHKに引き継いだ。その後は東京に移り住み、NHK経営主幹や昭和女子大副理事長などを歴任した。
祝う会は、同県人会(仲松健雄会長)が主催。関東で暮らす沖縄出身者のほか沖縄県からも参加した。沖縄から来た人も「こんな大規模なカジマヤー祝いは沖縄でもそう見られない」と驚いていた。
出席者と共に、沖縄の手踊り「カチャーシー」を舞って喜んだ川平さん。沖縄戦で荒廃した沖縄の地を初めて踏んだころを思い起こしながら「波瀾(はらん)万丈(の人生)でしたが、まだ20歳そこそこの私に(沖縄のために)何ができるのかという気持ちにさせてくれた沖縄、両親に感謝しています」と語り、感無量の様子だった。【鈴木玲子】