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立命館アジア太平洋大学(Ritsumeikan Asia Pacific University=APU)の卒業式の様子(写真:APU提供)

大分県別府市。日本一の源泉数・湧出量を誇る温泉のまちを望む山の中腹に、世界でも例をみないユニークな大学がある。

2000年に開学した立命館アジア太平洋大学、通称APU。学生6000人のうち半数の3000人が世界88カ国・地域から集まった国際学生(外国人留学生)で、教員も半数は外国籍。多国籍・多文化の中で大学生活を送っている。

「いやー、ものすごく大変でしたが、まさかの夢物語が実現したんですよ」と副学長の今村正治さんは陽気に語る。開学事務局の課長として、準備に奔走したひとりだ。

京都を拠点とする立命館大学は、将来を見据えて1980年代からさまざまな改革を行ってきた。関西で初となる国際関係学部の設置、びわこ・くさつキャンパス(BKC)の開設……。当時の総長他幹部に、大分県の平松守彦知事(当時)がアプローチしたのは1994年のこと。

「大分県をアジアと日本のハブにしたい。大学を作りませんか」という話だった。大学を新設する余力がなかった立命館側は、当初、前向きではなかった。

だが、ついこう漏らしたという。「国際学生が半数を占める大学を、いつかゼロから作ってみたいのだけど……」。構想に強く惹かれた知事はぜひやりましょうと話し、二者は意気投合。かくして立命館の無謀な挑戦が幕を開けた。

最初は山の中の、何もない原っぱだった

1995年9月、学校法人立命館は、大分県、別府市とともにAPUの構想を発表。場所は、別府市街から車で30分ほど上った山の上に決定した。

キャンパスから別府市街地と別府湾を望む(筆者撮影)

「1997年に建設予定地に来てみたら、市街地から遠く離れた山の中、まわりには何もない原っぱで。こんな僻地に大学を作るなんて、いくらなんでもあんまりだと衝撃を受けて……(笑)。ただ、はるか遠くに見える別府湾は美しかった」と今村さんは振り返る。

2000年の開学に向けて掲げた条件は「学生の50%は国際学生、出身国は50カ国・地域以上、教員の50%は外国籍」という「3つの50」。

世界のどこにもない大学で、どうすれば実現できるか誰にもわからない。最も難航したのは国際学生を集めることだったという。

「国の数を問わなければ、中国や台湾、韓国など近隣で日本語を学ぶ学生に声をかければいいけど、50カ国となると術がない。ある日ね、職員と教員が呼び出されて、インドネシア、タイなど国名が置かれた机に座り、その国の担当として学生を集めてほしいと言われました」


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