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こうなると、「伝統」はツールであるにすぎない。「伝統」維持のための「マウンティング」ではなく、「マウンティング」維持のための「伝統」。いわば、方便としての伝統だ。確かに、そういう利用例もある。なにか大きな構図を構築・維持するための便利ツールとして伝統を使っているのだから、いわば”伝統機関説”だ(どうか、国会で排撃されませんように)。

どんなジャンルでも、「伝統を大切に思い、それを周囲に伝える人」は次の4つのパターンに分けられる。横軸に、その人の「伝統への入れ込み具合」を取った。右に行くほど「好き、大切に思っている、伝えたい」の度合いが強い。左は「さほど好きでもない」と書いてはいるが、もちろん「嫌い」というわけではない。周囲が思うほど、強いこだわりはないということだ。

縦軸は、自由度。下に行くほど「伝統に従え、変えてはいけない」と強制の圧力が強くなる。上に行くほど、「そうではあるけど、判断はあなたの自由だ」ということ。

A:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい。あなたにも好きになってもらいたい。……けれど、あなたがどう判断するかは自由だ、というタイプ。

B:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい。あなたにも好きになってもらいたい。……だから、あなたもこの伝統に従うべきだ、というタイプ。

C:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい、と表向きは表明しているが、本心はそれほどでもない。……けれど、あなたもこの伝統に従うべきだ、というタイプ。

D:この伝統が好きで、とても大切だと思っている。なくしたくない、次の世代に伝えたい、と表向きは表明しているが、本心はそれほどでもない。……だから、あなたがどう判断するかは自由だ、というタイプ。

Aは、純粋な伝統好き。その道のプロとか通と呼ばれる人たちだ。面白いことに、ジャンルを極めたプロほど「基本さえわかってくれれば、あとは自由でいい」という人が多い。周囲にいる関心がない人にアピールはするが、強要はしない。Dはライトユーザー。

BとCは、伝統マウンティング派だ。Bは熱狂的で、Aと違うのは「変えてはいけない」と伝統原理主義的になり、周囲にも強制したがる。やや信心みたいになってくる。まわりにいるとやっかいで面倒な存在だが、本人は「よかれと思って」いるので悪気はない(だから、やっかいで面倒なのだが)。


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