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ロシア語では、「天皇」の訳に「ツァーリ」は当てられず、「インペラートル」が当てられます。「天皇」にはカエサルの後継者称号よりも、君臨者としての役割者称号を当てることのほうが適切であるからです。

ドイツ語とロシア語の「皇帝」が「カエサル」という意味を持つのは、理由があります。ヨーロッパで、皇帝家はドイツ語圏とロシア語圏にのみありました。ドイツ語圏に、オーストリアのハプスブルク家、ドイツのホーエンツォレルン家の2つの皇帝家があり、ロシア語圏に、ロシアのロマノフ家があります。この3つの家系のみがヨーロッパでは皇帝家です。

イギリスのエリザベス1世を輩出したテューダー家もフランスのルイ14世を輩出したブルボン家も、強大であったとはいえ、皇帝家ではありません。なぜならば、彼らはカエサルの後継者ではなかったからです。

19世紀に、ナポレオンが「皇帝」を名乗りますが、正統な皇帝とは言えません。ブルガリア王シメオン1世(在位893年?927年)なども東ローマ皇帝の後継者を自認し、一方的に「皇帝」を名乗りましたが、やはり正統性はありません。

ヨーロッパ人は、自らの歴史がローマ帝国からはじまると捉えています。ローマ帝国は約400年間続き、西暦395年、東西に分裂します。ローマ帝国の分裂以降、皇帝位は東西の2つに分かれ、西ローマ皇帝と東ローマ皇帝が並び立つことになります。

西ローマ帝国の継承者が神聖ローマ帝国の歴代皇帝であり、この流れの中に、前述のオーストリアのハプスブルク家とドイツのホーエンツォレルン家があります。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の継承者がロシアのロマノフ家です。

血統の系譜ではなく、政治的系譜

西側(旧西ローマ帝国領域)では19世紀、新勢力ホーエンツォレルン家が台頭し、神聖ローマ皇帝位を歴代世襲したハプスブルク家に対抗します。北ドイツのプロイセンから発祥し、ドイツ全土を支配したホーエンツォレルン家は神聖ローマ帝国の流れをくむ分派でした。ホーエンツォレルン家は衰退するハプスブルク家に代わり、自らが皇帝位を引き継ぐことを主張し、1871年、ドイツ帝国を樹立します。

このとき、神聖ローマ帝国の皇帝継承者として、旧勢力のハプスブルク家と新勢力のホーエンツォレルン家が並び立つことになります。

ドイツにおいて、962年発足の神聖ローマ帝国は第一帝国、1871年発足のホーエンツォレルン家のドイツ帝国が第二帝国、ヒトラーのナチス・ドイツが第三帝国となります。

ヨーロッパの皇帝家であるハプスブルク家とホーエンツォレルン家、そしてロマノフ家はカエサルの後継者として「皇帝」を名乗っていました。ヨーロッパの皇帝家はその祖先をたどっていくと、ローマ帝国のカエサルに行き着きます。ただし、この系譜は血統・血脈を受け継いでいるものではなく、飽くまでも政治的な系譜にすぎません。ここが、血統の継承を前提とする日本の皇室と違うところです。


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