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厚生労働省の専門部会は18日、iPS細胞を使って脊髄損傷を治療する慶応義塾大学の臨床研究を了承した(「iPS細胞で脊髄損傷治療 厚労省、慶大の計画了承」参照)。近く厚労相から正式に通知が出され、2019年秋にも移植が始まる。事故などで傷ついた神経を再生、失った運動機能や感覚の回復を目指す。iPS細胞を使う再生医療は他にも計画が進むが、今回は現代医学では歯が立たないけがの根本的な治療を見据えており、本格的な再生医療への試金石となる。

脊髄損傷は手足のまひなどが残り、重症だと車いす生活を余儀なくされる。現在はリハビリでわずかに残る機能の回復を目指すしかない。グループを率いる慶大の岡野栄之教授は記者会見で「本格的に研究を始めて20年になる。ようやくスタートラインに立てた。早く患者に届くよう頑張りたい」と語った。移植手術を担当する中村雅也教授は「現時点でできるベストを尽くす」と話す。

計画では、備蓄しているiPS細胞から神経のもとになる細胞を作製。脊髄を損傷してから2?4週間以内の患者4人に移植する。安全性とともに、移植した細胞が新たな神経細胞を作って神経信号の途絶を修復させるかどうかを確かめる。

チームは損傷から時間がたったマウスでも、運動機能の回復に成功している。将来は損傷から時間がたった患者の治療も目指す。

病気や事故で失った臓器や組織を修復して再生を目指す点で、今回の計画はiPS細胞を使う再生医療の「中核」に大きく近づく。脊髄は神経の状態を再現しにくいことから、脳と並んで創薬が進んでおらず、治療の難易度が高い。患者団体の全国脊髄損傷者連合会(東京・江戸川)の大浜真代表理事は「ようやくここまでたどりついたという思い」と話す。

京都大学の山中伸弥教授が人のiPS細胞の作製に成功して10年あまり。再生医療への応用を目指す動きが活発化している。目の難病の加齢黄斑変性で理化学研究所などが2014年に臨床研究を実施。18年には、大阪大学が重い心不全、京都大学が血液の血小板が減少する難病で計画を了承された。阪大の角膜の病気や損傷の計画も審議中だ。京大は体が動かしにくくなるパーキンソン病で、保険適用を目指した臨床試験(治験)に取り組んでいる。

治療が困難な病気やけがが対象になってきた。ただ、従来は症状の改善が主な狙いで、病気の原因そのものを取り除くのは難しい。

これまでは成熟しきった細胞やそれに近い段階の細胞を移植しているが、慶大グループは未成熟な細胞を使う。こうした細胞が脊髄の損傷部で、神経の再生に必要な様々な細胞に変化するとみている。動物実験で、移植した細胞から神経細胞が修復していることを確かめた。患者でも神経が修復すれば、失った臓器や組織を再生する医療の実現性が増す。

iPS細胞を使う再生医療では、脊髄以外にも肝臓や腎臓で臨床研究の計画が具体化している。糖尿病を治療するための膵島(すいとう)の再生を目指す研究が進んでいる。

最大の課題が安全性だ。iPS細胞から作った移植用の細胞は品質が悪いとがん化するリスクを抱える。本格的な再生医療を実現するには、多くの細胞の移植が必要となる。その数は数百万から数千万、多いものでは1億個近くになるという。この中にがん化する細胞が混ざらないか、細心の注意が欠かせない。移植用の細胞の全遺伝情報を調べるなど、品質管理を徹底する必要がある。

安定供給、企業と連携課題


 iPS細胞を使う再生医療を多くの患者に普及させるには、コストが大きな課題となる。iPS細胞の作製や供給は大学などが担っているが、ほぼ手作業で時間がかさむため、費用の高騰につながる。高品質で安価な細胞を量産する技術と体制づくりが必要になる。普及へ向けて、企業との連携が欠かせない。
 現在はiPS細胞の作製に品質の検査などで数千万円かかる。京都大学の山中伸弥教授は「低価格化は普及のために解決しなければならない課題だ」と強調する。
 山中所長は2025年までに、患者一人一人の細胞から安価な「マイiPS細胞」を作る手法を確立する考えだ。約100万円に下げ、製造期間も現在の約1年から数週間に縮める。早く治療しないと効果が薄い病気やけがを視野に入れる。
 日本は研究では世界をリードする一方で、産業化は遅れがちだった。ここへきて、一部の企業は将来の再生医療事業を見据えて動きが活発になってきた。
 大日本住友製薬は18年に専用の量産・加工施設を完成させた。iPS細胞から作る細胞製品の商用生産施設は世界初。外部から提供されたiPS細胞を増やし、目的の細胞を含む製品にする。今後、臨床応用に取り組んでいる京大と協力する考えだ。
 ニコンは細胞培養世界大手のスイス・ロンザから技術を導入し、細胞の量産を請け負う専用施設を設置した。細胞は種類が同じでも性質がバラバラで安定生産が難しい。培養のノウハウを持つ専門企業の強みを生かす。
 日立製作所はグループで連携し、細胞培養などの事業展開を進めつつある。日立は細菌の混入を防ぎながら自動培養する装置を手がけ、日立化成は20億円を投じて受託製造施設を開設した。
 細胞を安定的に量産するのは企業の得意分野だ。海外企業からの技術導入にも取り組んでいる。しかし、必要な細胞を量産する体制は整いつつあるが、細胞の採取や培養から配布、治療まで様々な大学や企業が連携し、医療サービスとしての仕組みづくりはこれからだ。産学官で知恵を集める必要がある。


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