ニュース本文


富雄丸山古墳で出土した木棺=奈良市
富雄丸山古墳で出土した木棺=奈良市

築造当時の割竹形(わりたけがた)木棺が見つかった奈良市の富雄丸山古墳(直径109メートル、4世紀後半)の埋葬施設「粘土槨(かく)」で、木棺を覆っていた粘土に棒を押し当てた痕跡が複数見つかった。粘土を強固にした仕上げ作業の跡といい、市教育委員会は「粘土槨をどのように作ったか具体的に分かる資料」と評価する。木棺が良好に残った要因も、盾形銅鏡の蛍光エックス線分析で銅イオンが作用した状況が浮かび上がった。

見つかった割竹形木棺(長さ5・3メートル以上)は両端で幅が異なり、南東側が64センチ、北西側が70センチ。被葬者の頭部を幅の広い北西側に置いて「北枕」を意識して葬られたともみられる。

粘土の表面に残っていた棒を押し付けた痕跡(左)。粘土の塊を土のうのように積み上げた跡(右下)も確認された=奈良市
粘土の表面に残っていた棒を押し付けた痕跡(左)。粘土の塊を土のうのように積み上げた跡(右下)も確認された=奈良市

木棺を覆った粘土は厚さ最大30センチで、ブロック状に幾つも分かれた状態で出土。粘土の積み方を詳細に観察し、30?40センチ大の塊を木棺の両端から中央に向かって2?3段ずつ順に積み上げたことが分かった。粘土の表面には幅8センチ、長さ50センチほどの直線状のくぼみも確認され、積み上げた粘土を強固にするため、仕上げとして棒を押し当てたとみられる。

木棺は、蓋(ふた)や身(本体)だけでなく、端を閉塞する小口板(直径52センチ)と、中央付近の仕切(しきり)板(同41センチ)がいずれも立った状態で見つかった。

「これだけ残りがいいのは奇跡的」と話すのは、県立橿原考古学研究所の岡林孝作・学芸アドバイザー。良好に残った要因について昨年度に発見された盾形銅鏡に着目し、「殺菌効果のある銅イオンが盾形銅鏡から溶け出して木棺を保護したことは明らか」と話す。

盾形銅鏡を蛍光エックス線分析したところ、銅の成分はわずか8%で錫が80%を占めていた。通常の青銅製品は銅が70%、錫が20%程度で、銅が極端に少ないことが分かった。岡林さんは「盾形銅鏡に含まれる銅が、1600年の間に大量に溶け出したことを裏付ける数値」と指摘する。

盾形銅鏡は木棺の上に置かれたため、銅イオンが木棺の蓋などに広く浸透したとし、「特殊な条件が重なったことで木棺が残った」と話す。鐘方正樹・市埋蔵文化財調査センター所長は「木棺の木がこれほど残っているなら、繊維や漆製品があれば腐食せず見つかるかもしれない」と、副葬品にも期待を込めた。(小畑三秋)



記事一覧 に戻る 最新ニュース読み比べ に戻る