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今季よりロサンゼルス・ドジャースの一員としてMLBの舞台で戦う佐々木朗希(23歳)。大船渡高校の同級生たちが明かす、“朗希への本当の思い”とは? 《ノンフィクション最終回/第1回、第2回も公開中》【初出『Sports Graphic Number』1052号より[同級生たちが明かす]大船渡高校「3年後のグループ通話」/肩書などはすべて当時】 【最新写真】「えっ、朗希とワチャワチャ…めちゃ仲良しになってる」テオスカーもスミスも佐々木に近寄って…&「大谷さんの表情が、泣ける!」好投の朗希を出迎える“まるで保護者”の大谷翔平も…現地写真を一気に見る(30枚超) ◆◆◆ エースを登板させず、甲子園目前で散った夏。あれから3年、共に白球を追った仲間たちは、4月10日の完全試合に何を思ったか――。
佐々希が登板せず、敗れた岩手大会決勝
高校最後のゲームとなった、花巻東との県大会決勝。ベンチで仲間を鼓舞しながら、今野聡太は冷めていく自分の気持ちに気がついた。4回戦で、自分が試合中に肉離れをしたことは受け入れるしかない。だが佐々木が登板せず、打席にも立たないという監督の判断には疑問を抱いた。 「全力で勝ちに行ってるのかな?」 試合前後に説明がなかったこともあり、もどかしさは引退後も尾を引く。ケガが長引いたこともあり、関東で野球を続けるという目標はあきらめ、県内の盛岡大学に進んだ。野球への情熱はすっかり冷め、前々から興味のあったダンスサークルに入ったが、「やっていたのはブレイクダンス。これは違うなと思って、すぐやめました」。それからはもう目的もなく、ただキャンパスに通うだけの日々を過ごしていた。 そんな今野を交通事故が襲う。 「1年生の前期テスト1週間くらい前、大学近くの横断歩道で軽自動車にはねられて、頭部を打ったんです。そのときは断片的な記憶しかなくて、気がつけばヘリコプターで花巻の病院に運ばれていました」
朗希から届いた“あるメッセージ”
幸いにも一命を取り留め、寝たきり生活も免れたが、入院生活は3カ月弱続いた。その中で悟ったことがある。 「人生はいつ終わるかわからないんだ。それなら、今日が最後の一日だと思って、悔いの残らない人生を歩みたい」 そしてこのとき頭に浮かんだのは野球、高校最後の夏で嫌いになったはずの野球だった。自分にはつくづく野球しかない、そう思い知らされた。 医師から激しい運動を禁じられていたが、退院後、今野は黙々と身体づくりを始めた。ひとり暮らしの部屋で、ダンベルや懸垂に取り組む。ドクターストップがいつ解けるかわからなかったが、今日が最後の思いでトレーニングに打ち込んだ。 幾度となく検査をくり返して、2年生になったある日、ついに野球への許可が出る。3年生になったタイミングで入部すると、すでに「佐々木朗希の同期がいるらしい」という噂が流れていたため、同期や先輩から「待っていたよ」と歓迎された。小学生のころから同じチームで野球を続けてきた佐々木に、野球をふたたび始めたことを伝えると、「がんばってや」というメッセージが届いた。



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