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そして、中央大学に進学する。中央大学は、過激な学生運動が繰り広げられていることで有名だった。学校に、一歩入るとバリケードが築かれていて、自治会委員長が逮捕されて監獄に入れられたことに対する抗議集会が開かれていた。

平野さんがピリピリとした雰囲気の校内を歩いていると、さまざまな団体がオルグ(勧誘)に来た。

「高校出たての馬鹿だから論争に全部負けてしまうんだ。『吉本隆明も知らないのか?』『マルクスやレーニンすら読んでないのか?』ってコケにされる。焦って本屋に行って、『共産党宣言』とか読み出したわけだ」

平野さんは、論争して負けた団体に入ることにした。まずは革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)に入ったが、なんだか性に合わなかった。

その頃は「革命をやったほうが面白いだろ!」と思っていて、四トロ(日本革命的共産主義者同盟、第四インターナショナル日本支部)に入る。?そして学費闘争だのなんだの、権力との戦いがあって、最終的にブント(共産主義者同盟)に入った。

ブントは、平野さんが他党派に在籍していたのが気に食わない様子だった。

「ブントには『学校を辞めて労働戦線へ行け!』と言われた。つまり働きながら戦え、ということ」

役所内に組織づくりをした

大学には何の未練もなかったから、すぐに辞めて、高卒の公務員試験を受けて郵政省に入った。東京地方貯金局という、一日中算盤をはじいているような役所だった。そこで2年ほどかけて、役所内に一生懸命組織づくりをしていた。

そんな折、あさま山荘事件が起きた。

ブントは大ダメージを受けてガタガタになったが、それ以上に平野さんの心が折れてしまった。

「警察との銃撃戦はいいよ。革命なんだから仕方がない。むしろシンパシーを感じた。俺も、いつか戦って死ぬんだ、って思ってたしね。でも“同士殺し”だけはどうしても許せなかった」(当時、連合赤軍内で総括と呼ばれるリンチ殺人が行われていた)

すっかりやる気が失せてしまった。

左翼なんて最低だ……なんでこんなことに青春を使ってしまったのだろう、とまで思った。最後に、「東京地方貯金局の局長室でも占拠してやろうか」と思ったが、すでに局内では警戒されていて、トイレに行くために席を立っただけで、課長や係長が後をつけてくる。革命どころか、満足にオシッコもできない状況になってしまった。


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