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ところが、彼の帰国後のエピソードに差し掛かると、風向きが少し変わってくる。待てど暮らせどオニツカからシューズが届かず、生活のために会社勤めを始めるフィル。募り続ける焦燥感。

人間フィル・ナイトの本質が顔を見せるのはこのあたりからだ。ハイスクール時代に野球部で挫折し陸上に転向、オレゴン大学に入っても第一線で活躍とまではいかなかった。外見だってとてもいい男とはいえない。

このあたりの挫折感とコンプレックスは冒頭でも触れられていたが、その後も繰り返し口にされる。意外に彼の中での根深い傷になっていたことが見て取れる。どうも、成功者が挫折をバネに這い上がったという、単純な話ではなさそうだ。

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ブルーリボン(ナイキの前身)に参加する大学での陸上時代の仲間もそうだ。本の虫で社会不適合者のジョンソン、事故で下半身不随となったウッデル、優秀な会計士なのに酒好きと太りすぎで出世街道から外れたヘイズ。

普通の世界ではなかなか受け入れられない男たちが集まって、その持ち味を最大限に生かしていく。こうなるとコンプレックスをバネにしてというよりも、被害者意識を抱えた「負け組」たちによる、社会に対する復讐劇にも思えてくる。

「負けは死を意味する」と自らに何度も言い聞かせるほど、フィルの負けず嫌いは際立っている。本書の中で、フィル自身幾度となくピンチに遭遇する。これらはフィルが成長を急ぎすぎたためでもあり、彼の過剰な負けず嫌いが自らまいた種でもある。どうにもカッコ悪い。会社は大きく成長しながらも、その過程は決してスマートとは言えない。詳細に描かれた細かなエピソードは、何とも人間臭い。

世界的起業家とミュージシャンの共通点

ここまで読み進めて、フィルとミュージシャンたちとの共通点が見えてきた。ロックといえばマッチョで雄々しいイメージでとらえられがちだが、その根底にあるのはコンプレックス、もっと言えば被害者意識である。体制への反発も被害妄想の裏返し的なところがある。

私にとってロックとは、世間に対して言いがかりに近い難癖をつけて、結果的にはそれが常識に待ったをかけ、人々の間にくすぶっている何かを刺激し、共感を生むものだ。自分の知るかぎり、ミュージシャンとは、負け犬根性をエネルギーに変え、あるいはその思いをぶちまけてきた連中ばかりで、弱い人間ばかりだと言ってもいい。社会的弱者の立場に立つのも自らが弱者だからだ。真っ直ぐな意志と強さを持ち合わせたミュージシャンなんているのだろうかとさえ思う。

本書はフィル・ナイト自身の全人生を網羅したものではなく、1980年、つまりナイキが株式上場するまでを描いている。彼が会社を立ち上げ、文字どおり泥まみれで苦闘していた時期で、ある意味で最も冴えない時期だったのかもしれない。冴えない時期だけを集中的に、それなのにこれほど魅力的に語るとは、体制的な成功者の自伝としては異例ではないだろうか。


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