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31歳の若々しい首相となるが、彼の人気は排外主義の高まりをも象徴している(写真:ロイター/アフロ)

15日に行われたオーストリアの国民議会(下院)選挙は、セバスチアン・クルツ外相率いる中道右派の国民党(OVP)が31.5%の票を獲得して勝利した。現政権を率いる中道左派の社会民主党(SPO)が26.8%、反移民・反イスラムを掲げる右派政党・自由党(FPO)が26.0%の僅差で続いた(OはいずれもO-ウムラウト)。

2015年の難民危機後に支持を高めた自由党は、圧倒的な人気を誇るクルツ外相の党首就任と移民政策の厳格化を受けて選挙戦終盤で国民党に支持を奪われたが、前回選挙から6%ポイント近くも票を上積みし、2大政党に迫る支持率を獲得した。

ナチスの流れをくむ自由党が勢力を拡大

自由党は元ナチス関係者が結党に参加したドイツナショナリズムを提唱する政党を起源とし、オーストリア政界で2大政党に次ぐ第3勢力としての地位を築いている。1980年代後半にハイダー党首の下で右傾化を強め、過激な反移民政策や2大政党批判で現状不満票を集めた。1999年の議会選で第2党に躍進し、第3党となった国民党とともに連立政権を発足させた。極右の連立入りに反発した欧州諸国が、オーストリアとの外交関係を断絶する事態にまで発展した。

ほかのヨーロッパ諸国に先駆けて、オーストリアが早い時期から極右勢力の脅威にさらされてきたのには理由がある。ヨーロッパの地図を見ると、オーストリアは西ヨーロッパ諸国の中で最も東に位置していることがわかる。北の国境はチェコ、東の国境はスロバキアとハンガリー、南の国境はスロベニアと、多くの東ヨーロッパ諸国と接している。

オーストリアの国名は母国語のドイツ語で「Osterreich(エスターライヒ、OはO-ウムラウト)」と書く。これは「東の国」を意味し、西ヨーロッパの最東端に位置していたことに由来する。オーストリアは今でこそ人口900万人弱、北海道とほぼ同じ面積のヨーロッパの小国にすぎないが、ハプスブルク帝国の最盛期には、東ヨーロッパの全域はもちろんのこと、ドイツ、イタリア、ベルギーに至る広大な地域を支配していた。

音楽の都として名高い首都ウィーンは現在のオーストリアの中で東端に位置し、そこから放射線状に東ヨーロッパの各都市に道路が延びている。これは、かつての国境線が現在よりもはるかに東側に位置したことを意味する。歴史的・地理的な結び付きの強さもあり、オーストリアは今もビジネスや文化交流などさまざまな分野で、東ヨーロッパの玄関口の役割を果たしている。こうした東ヨーロッパとの近接性がオーストリアでの極右台頭と関係している。


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