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13年前の福知山線事故発生時間帯に通過する電車と整列するJR西日本の社員ら(写真:共同通信)

2005年4月25日、死者107人・負傷者562人を出したJR福知山線脱線事故。JR史上最悪の事故で被害者となった淺野弥三一(やさかず)氏は、遺族感情と責任追及を脇に置き、加害者であるJR西日本との共同検証に自ら責務を課した。硬直しきった巨大組織との対話は、異例の出戻り社長との間でついに回路が開いた。『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』を書いたノンフィクションライターの松本創氏にその経緯を聞いた。

国鉄改革を成し遂げた成功体験が生んだ方針

――事故の背景にはJR西日本独自の背景もあったのでしょうか?

まず脆弱な収益基盤、私鉄との競合があった。JR東日本は首都圏を抱え圧倒的な乗客数がある、JR東海は東海道新幹線というドル箱を持っている。それに対しJR西は民営化時点で52路線のうち黒字は大阪環状線と山陽新幹線の2路線だけ。阪急・阪神など強力な私鉄5社があって、JRなんて乗らないという人も珍しくない。

国鉄民営化の総司令官で、JR西の天皇と呼ばれた井手正敬氏(事故当時、相談役)の現場社員への締め付け、個人への責任追及、懲罰的再教育という手法は、国鉄改革を成し遂げた成功体験によりJR西でより濃縮されました。他社に負けるなと社員の尻をひっぱたく。事故当時の大阪支社長方針の筆頭が「稼ぐ」だったほど。

――「事故において会社・組織の責任なんてない、個人の責任追及のみ」と井手氏は発言している。

そもそも犠牲者への視点を欠き、被害者を損害賠償の請求者という利害関係でしかとらえていない。カネで償えばいいんだろ程度で被害者はないがしろにされてきた。制限速度70キロメートルを上回る時速110キロメートル以上でカーブへ突入した当の運転士が助かっていて有罪判決を食らっていたら、そこでおしまいだったかもしれない。誰か犯人を一人吊るし上げろという処罰感情。でも淺野氏はそこに異を唱えた。裁判で個人一人を罰したところで組織は変わらない、と。


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