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現在こうした厳重警戒エリアから安全な場所への引っ越しを進めているほか、国際移住機関(IOM)は風雨に耐え得るテントに作り直すために、竹材や防水布、ロープ、大工道具を大量に配布している。すでに多くのテントが暴風雨で吹き飛ばされているからだ。

雨季に備えてメガキャンプで進む土砂崩れ防止の斜面補強工事(筆者撮影)

メガキャンプでは斜面を階段状に削り、土のうやシートを敷き詰める大規模な防災工事が急ピッチで進められ、道路のレンガ舗装、側溝の整備、無数にある竹橋の補強なども行われている。もちろん重機がフル稼働しているが、大部分はロヒンギャの男性たちによる人力作業であり、小高い丘から見渡すと、戦国時代の築城や陣地の普請はこんな感じではなかったかと思わせる“スペクタクル”が広がっている。

「数万の難民を避難させる場所はない」

地元のNGO関係者は「コックスバザールやチッタゴン丘陵一帯では毎年のようにモンスーンの災害が発生し、昨シーズンも土砂崩れで約170人の死者が出た。ましてや樹木が1本もないキャンプで何が起きるか、考えただけでも恐ろしい。しかも万一の場合、数万人単位の難民を緊急避難させる場所などどこにもない」と不安を隠さない。

メガキャンプ内の道路をレンガ舗装する難民の作業員(筆者撮影)

ミャンマー西部ラカイン州モンドー地区から逃れてきたロヒンギャの農民男性(37歳)は「私たちの村は平野にあり、山地には人がほとんど住んでいない。こんな場所で暮らすのは初めてで、危険だと言われても実感がないし、ほかに行くところもない。大雨が降ったらテントの周囲をよく見て気を付けるしかないね」。

防災の啓発活動も展開されているのだが、これ以上失うものはないからか、自力ではどうしようもないからか、難民たちはどこか諦観の境地にあるようにさえ見える。

さて、ミャンマー・バングラデシュ両政府は難民の帰還を1月23日に開始し、2年以内に完了させると発表していたが、帰還プロセスは全く動いていない。4月15日にはミャンマー政府が「バングラデシュに逃れていた難民の家族5人が帰還した」と大々的に発表し、日本でも「合意後初の帰還」などと報じられたが、国境地帯まで行ってミャンマー側に戻った中途半端なケースで、難民キャンプを出て帰還したわけではない。

家族はミャンマー政府のアレンジで海外メディアの取材を受けるなど、本人たちの真意は別として、完全に政府の対外宣伝に利用されており、これをもって帰還が始まったとみなすのは見当はずれである。

故郷への帰還が遠のき、追い打ちをかけるように災害の危機が迫る中、にわかに現実味を帯びてきたのが、バングラデシュ政府による「無人島移住計画」である。ベンガル湾に2006年に出現したバシャンチャール島にロヒンギャ難民を収容する構想は、政府が2015年から検討していた荒唐無稽とも思える“奇策”だが、昨年8月以降の爆発的な難民流入を受けて、同計画が改めて急浮上した格好だ。


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