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浮き沈みの激しい人生だ。

生まれ育ったのは長野県茅野市。スケートの盛んな土地で、父親は国体で連覇を果たしたスピードスケートの名選手だった。「田んぼリンク」でスケートに親しんだ子ども時代、周りから父の武勇伝を吹き込まれた。比較されることを嫌い、陸上競技に転向。県立諏訪清陵高校時代、400メートル走で全国大会を目指すまでになった。

しかし高校最後の大会目前に負傷し、ドクターストップがかかった。多感な10代での挫折で、「努力は報われない」と勉強にも身が入らなくなった。2浪の末、名古屋大学工学部応用化学科に入学。修士課程まで終えて、三菱石油(現JXTGエネルギー)に就職した。

フラスコを振るより背広を着こなす人生にあこがれ、営業職を志望。最初は見よう見まねだったが、しだいに誠実さが認められ、社内外から一目置かれるようになった。でも、つねに上を見ていた。

入社5年目に会社派遣で1年間、米国テキサス州立大学に留学した。出世コースだ。ビジネススクールには意欲旺盛な若者が集う。だが自分は学位を取る必要のない身分で、逆に焦りが募った。帰国後、本格的な留学のための準備を始めた。

妻の英子は2年後れで入社して隣の席に座っていた後輩だった。新婚早々に夫は受験勉強漬けの日々。2度目の挑戦で合格し、英子はその合格通知を社宅で受け取った。自費留学イコール退職を意味するが、次の目標に向けて歩み出す夫は頼もしく見えた。

答えは自分で見つけ出すもの

大久保が入学したシカゴ大学ビジネススクールは、全米トップレベルの伝統校。現地で長女が生まれ、貯金が底を突きかけ、夏休みにはインターンシップで働いた。

インターン先であるゴールドマン・サックスのニューヨーク本社には、金融界で一旗揚げたい連中が各地から集っていた。当時、大久保は金融にそれほど関心があったわけではない。座学の途中、ついうとうとしてしまった。すると講師が「今日のダウ平均株価はなぜ下がったの」と質問を浴びせた。

適当に切り抜けようとすると、相手の怒りは増幅された。「正直に『わかりません。でも答えを探してきます』と言って出ていけばいいのよ」と、ぴしゃりと言い渡された。戒めの言葉は、その後ずっと大久保の心に刻まれた。答えは自分で見つけ出すものだと。

さんざんな出だしだったが、結局、ゴールドマンの日本法人から誘いを受け、それに乗った。

35歳の新入社員だが、実力だけが物をいう世界。株式などはベテランの担当者がいて、すぐには太刀打ちできそうもない。ならばと金融ビッグバンで取引が緩和されたデリバティブ商品の担当を願い出た。息子も生まれ、家族4人の生活のためにも、ピラミッドの底辺から一刻も早くはい上がり、居場所を確保したかった。

営業成績を上げようと新規の取引先の部長に「何でもやります」と持ちかけたところ、あろうことか「一緒にホノルルマラソンを走れるか」と言われ、真に受けた。ゴールドマンに入った翌年の2000年12月、有給休暇を取って自費でホノルルに同行し、人生初のフルマラソンを走り切った。自分を向上させるため、のめり込むものが欲しかったのか、はまった。


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