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古川:ええ、基本的にはそうです。ただし、教科化という考え方それ自体には賛成ですが、現在進められている内容の教科化には反対です。

そもそも道徳の教科化については、右派も左派もそろって否定的なんです。左翼系は「戦前の修身への逆行だ」と反対しているし、保守系も、まともな人ほど「道徳とは日々の体験の中で身体化していくもので、教科書で教えて評価するものではない」と言いますね。

佐藤:となると、誰が後押ししているんですか。

古川:一言で言えば、いわゆる「自称保守」、つまり安倍政権と自民党、およびその支持者たちです。1958年に「道徳の時間」を新設したのも自民党ですし、それを教科に格上げすることも彼らの積年の宿願だったんです。

ネオリベラリズム化する道徳教科書

中野:教科化が議論になるのは、「道徳教育で何を教えるのか」というコンセンサスが取れていないからでしょう。一口に近代思想といっても、リバタリアニズムもあれば、リベラリズムも、保守主義もある。それらも単に知識として通り一遍に教えるのであれば問題はないけれども、深く踏み込んで理解させるとなったら話は別で、左翼も保守も「これが道徳の教科になじむのか」「そんな思想は危険だ」という議論を始める。

古川 雄嗣(ふるかわ ゆうじ)/教育学者、北海道教育大学旭川校准教授。1978年三重県生まれ。京都大学文学部および教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学、道徳教育。著書に『偶然と運命――九鬼周造の倫理学』(ナカニシヤ出版、2015年)、『看護学生と考える教育学――「生きる意味」の援助のために』(ナカニシヤ出版、2016年)、共編に『反「大学改革」論――若手からの問題提起』(ナカニシヤ出版、2017年)がある(写真:古川雄嗣)

古川:そうですね。その点に関連してちょっとおもしろいのは、実は自民党は、「国民意識を持って主体的に国家を担いなさい」というナショナリズムや、「私利私欲を犠牲にして公共の利益に尽くしなさい」という公共精神を教えようとしているわけではないんです。そうではなくて、道徳の教科書を開いてみると、「個性を大事にしよう」「自分らしさを磨こう」「夢に向かってがんばろう」といった言葉がこれでもかというぐらい出てきます。「道徳」という言葉で連想しがちな、いわゆる滅私奉公とは、実は逆で、「自分のために生きなさい」「自由に私的な利益を追求しなさい」と教え込もうとしているんです。

中野:「個性を大事に」というのでも、「自分の個性を大事にする」と「ほかの人の個性を大事にする」とではだいぶ違いますよね。ほかの人の個性を大事にするのなら「配慮」「社会性」になるが、「俺の個性を大事にしろ」だけなら単なるエゴになりかねない。

古川:教科書では「自分の意見をきちんと表現して、人の意見もきちんと聞いて、お互いに認め合って仲良くしましょう」という言い方ですね。だけど、これも結局は、他人とうまくコミュニケーションできてチームワークができるという能力や道徳性がないと、将来サラリーマンとして会社でうまくやっていけないからでしょう。

佐藤:すると仕事で業績をあげられないのは、道徳に問題があるからだという話になる。自民党は道徳と称して、成果主義に徹する価値観を教えこみたがっているのではないか。「立派なグローバル人材になって高い収入を得たければ、これこれの道徳を身に付けなさい。それがあなたにとっても、日本経済にとっても合理的な選択です」、そんなノリを感じます。


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