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スタインウェイは息子たちとともに本質的な改革を多く起こし、ピアノを、今日私たちが知っている楽器へと生まれ変わらせた。「ハインリッヒは研究、調査の人で、さらに行動が早い人でした」。今日、スタインウェイでヨーロッパとアジアを統轄しているヴェルナー・ヘスマンは言う。「そしてその精神を、息子さんたちに引き継いでいます」。

ハインリッヒはグランドピアノでは初めて、交差弦方式を採用している。そうすることで、ベース弦が響鳴板のより中央に位置するようになり、音振動が増幅された。そして息子のテオドアが、内リムと外リムを一工程で製造する方式を開発し、さらに振動を改良している。これにより、弦の振動はヴァイオリンのように伝わるようになった。

スタインウェイの製造法は非常に費用がかかったため、社としてはそれに見合う価格設定をしなければならなかった。たとえば、木目のある長さ7メートルの完璧な木材を準備し、製造工程の最初から、完全なピアノ・ケースをステップ毎に工場から運送しなければならなかった。そのためにまとまった投資が必要だった。

市場のシェアを獲得し、築いた優位性

パリ万国博覧会でスタインウェイのピアノの音色に熱狂し、ピアニストになりたがる人たち

ウィリアム・スタインウェイ(ハインリッヒの息子)も、市場のシェアを獲得するのに重要な役割を担った。当時名が知られていたパリのピアノ製造業者、プレイエルやエラールのコンサートホールは収容人数が2000名以下だったのに対し、彼はマンハッタンに2500名以上の客席があるコンサートホールを建設した。

スタインウェイ・ホールはその規模のおかげで最高のピアニストを招くことができ、そのフィードバックを受けてスタインウェイはピアノを大ホール用に完璧に調整することができた。

同社はグランドピアノのセグメントでトップの地位を築き、長期にわたりその優位性を保ってきた。スタインウェイが君臨しているところに競合他社が入り、莫大なコストを回収できる規模を築くのは難しい。

初代のスタンウェイが会社に導入した、品質を重んじるDNAは、1880年に試練を迎えた。中流階級で音楽に親しむ人が増え、居間に置くアップライト・ピアノの需要が拡大したのだ。テオドアは、急成長している安価なピアノ市場への参入を希望したが、ウィリアムが最高品質のピアノ製造者としてのスタインウェイの道を守り抜いた。20年後、需要が見込まれる自動演奏機能付きピアノが登場したときにも、スタインウェインは自社に取り入れることはしなかった。


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