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同時期、『主婦の友』などの4大主婦雑誌が合計で200万部超えの人気メディアとなり、テレビでも『きょうの料理』などのレシピを伝える番組が放送された。牛乳・チーズなどの乳製品、肉類、卵類、新鮮なレタスなどの西洋野菜といった食材は、この時期に安く大量に供給されるようになり、使いこなすためのレシピを主婦たちが必要としていたからである。

さらに、女性の意識にも変化が起きた。いつの時代も、若い世代は新しい食べ物を積極的に求め、シニア層は食べ慣れたものを食べたがる。もし、この時期に3世代が暮らす家庭やシニア世代が多数派だったら、新しい料理はそれほど普及しなかったかもしれない。しかし、この時期急速に増えたのは、若い世代だけが暮らす核家族だった。

日常的に「昭和飯」を作るように

当時の核家族において、台所は「女性の城」だった。この頃城を持った世代は、男女平等を定めた日本国憲法が制定された後、戦後民主教育を受けて育っている。サラリーマンが増えた時代に結婚した彼女たちは、対等な夫婦関係の下、夫が家計を担い、妻である自分は家事・育児を引き受けた、と考えた。いわば、主婦業を「仕事」と考えたのである。

昭和飯には、作るのに手間がかかるという特徴がある。ハンバーグはこねて丸め、ギョーザは包むという細かい作業がある。ロールキャベツに至っては、キャベツの葉を1枚ずつ?がしてゆで、別に作った肉のたねを包んで巻き、ようやく煮ることができる。

これらの洋食はもともとレストランで提供される料理だったし、ギョーザは中国の行事料理である。手間は、日々の食事とは異なる特別な料理としてのウリである。しかし、昭和の主婦は、日常食として昭和飯を作るようになった。それはなぜか。

まず、食材やレシピが提供されるようになったことが大きい。それに加え、彼女たちのプロ意識が影響した。日々手の込んだ料理を食卓に並べることは、自分がしっかり働いているアピールになる。作りがいもある。もしかすると、楽しい作業だったかもしれない。


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