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何しろ、家電が普及した少人数家族は、少し前の土間の台所で大家族だった暮らしと比べて家事・育児の手間が格段に少なかった。そして、彼女たちは主婦業に専念できることに喜びと誇りを抱いていた。余った時間を、料理に手をかけることに費やした女性たちは少なくないのだ。

しかし、高度成長期も後半になると、共働き女性が増え始める。そういう女性たちに役立ったのが、冷凍食品、レトルト食品などの昭和飯だ。昭和飯は技術の進歩に伴い、すぐに加工食品として提供されるようになった。肉をたっぷり使ったこれらの料理を食べたいと思う人が多いからだ。

男女の役割分担意識はそう簡単に変わらない

昭和の共働き女性が大変だったのは、男女の役割分担意識が変わっていなかったことだ。既婚女性の多くは、働くうえで「家事・育児に手を抜かない」という約束を夫にしなければならなかった。夫が家計を担っているのに、妻が仕事を持つのは趣味の領域だと考えられたのである。

だから、彼女たちは加工食品や総菜を利用したり、時短レシピ活用などの工夫をしつつ、夕食を整え、弁当を作った。しかも、この時代には食卓に求められる水準が上がっていた。

1つは、一汁三菜が理想の食卓という考え方だ。きっかけは、『きょうの料理』である。1978年10月、「家庭むきの懐石料理」特集で、一汁三菜という懐石料理の献立が紹介された。すると、ほかの料理研究家たちも、食卓は「一汁三菜」であるべきだと言い始めたのである。

この時期、家庭料理は二極化へ向かっていた。1つは時短料理などの簡略化、もう1つは高度化である。後者は主に少数派に転じた専業主婦たちが中心に担った。1980年代に専業主婦でいられたのは、基本的に経済的に余裕がある人たちである。その中には、難しい料理に挑戦することにやりがいを見いだした人たちがいる。


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