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当時日本の常識しか持ち合わせていなかった青二才の私は、この旅でさまざまな日本人旅行者たちに出会い、一緒に屋台で飯を食っては旅先の情報を交換し、ある時は同じ目的地まで一緒に旅をした。

帰国後に私が痛感したのはアジアの熱気との温度差だった。東京の満員電車に揺られて通学する日々にたちまち鬱屈した気分を募らせるようになった私は、夏休みや春休みのたびにバックパックを背負ってはアジアへ飛び出すことを繰り返した。

旅に答えなどない。

それでも若者たちは何かを求めてアジアを目指した。かつてそれは「自分探し」と謳(うた)われていたが、探し物が具体的な何かである必要はなかった。たとえ現実逃避でしかなかったとしても、アジアの人々や旅先で出会った日本人たちは、そんな弱い私を優しく包み込むように受け入れてくれた。

そこには確かに「居場所」があった。日本と違う景色、違う食事、違う言葉を話す現地の人々との出会いを通じた非日常的体験。そこに意味や理由付けといった小難しい理屈は不要で、ただただ楽しかった。

恋人と上京して同棲生活を送っていた村上も、旅先でそんな若者たちに出会い、それからというもの、休みを利用した東南アジア1人旅が始まった。

旅先から帰ってきたら…

だが、2011年の年明け、旅先から帰国した村上を待っていたのは、5年間付き合った恋人との別れだった。原因は相手の浮気。以前から仲がぎくしゃくしていたが、恋人の携帯電話を調べたところ、別の女性と関係を持っている疑いが浮上したのだ。

「彼氏と別れて、毎月20万円程度の給料で東京に1人暮らしするとしたら貧乏生活と変わらないじゃないですか。派遣だし、ボーナスもないし。だから東京にいる意味がなくなったんです。地元に帰ってもよかったんですけど……。でもこっちは浮気をされて捨てられ、相手は同じ地元の人なので、共通の知り合いに『こいつ1人で帰ってきてるよ』って思われるのも悔しくて。だから意地でも帰るものかと」

自ら東京へ出た手前、惨めな姿をさらしたくなかった。

「恥ずかしい。悲しすぎるじゃないですか!?自分が振って帰ってきたんだったら凱旋みたいな感じですけど、振られた挙げ句に都落ち。それで携帯ショップでバイトなんか始めたら誰かしら知り合いに会いますよ。狭い町なので。そんなのは死んでもごめんだと。相手の男より絶対に楽しい人生を送ってやると思いました。それでネットで『タイ』『就職』のキーワードで検索したら、真っ先に出てきたのがコールセンターだったんです」

そして村上はバンコクへ誘われるようにして日本を飛び出した。

それから4年。

インターン制度で困窮生活を1年ほど続けた後、限界を感じた村上は、コールセンターの正社員になった。しかし、その2年後に退職。コールセンターの離職率は高く、毎月のように1人、また1人と職場から誰かしらが消えていく。

「タイ語も話せないのにタイにいて、日本人とだけつるんでいる自分が嫌でした。せめてタイ語が話せるようになりたいって思って、コールセンターを辞めてタイ語学校に通うことにしたんです」

スパの受付を辞める友達の代わりにその仕事に就くと、スパでの勤務とタイ語学習を両立させた。ところがスパの就労条件に納得がいかず、数カ月で退社。次に旅行代理店での職を得たが、それは勉強を続けたタイ語の能力が評価された結果でもあった。


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