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「ラーメン屋を突如解雇されてしまい、知人の紹介でなんとキャバクラで働いてます(笑)」

20代の頃、福岡のスナックでホステスとして働いたことを「胸を張って人に言える仕事じゃないから嫌でした」と、振り返っていた彼女だったが、非正規労働を繰り返した後、バンコクのコールセンターに流れ着き、そこからまた二転三転して、水商売に戻ってしまったらしい。

「何か、私かわいそうな人みたいですね」

そんな村上にタニヤ通り沿いの居酒屋で会った。彼女が働くクラブもこの界隈だ。出勤前だったためか、水色に白い花柄模様がちりばめられたワンピースを着ていた。両手には銀色にキラキラ光るネイルアートが施されている。これまでのTシャツ、短パン姿とは異なり、その姿は夜の女性に変わっていた。

テーブル席に座った彼女は「あさりの酒蒸しを食べませんか?」と聞いてきた。私は「どうぞ注文して下さい」と何げなく勧めたつもりだったが、予想外の反応が返ってきた。

「何か、私かわいそうな人みたいですね」

私の口調が癇(かん)にさわったのか、あるいは「上から目線」に映ったのか。そんなつもりはなかったが、自身の状況を悲観するあまり、過敏になっているのかもしれなかった。

村上は週6日のペースでクラブに出勤していた。午後9時からの3時間で給与は2100バーツ(約7308円)。時給700バーツ(約2436円)だから、コールセンター時代の3倍強だ。1カ月で5万バーツ(約17万4000円)弱になる。それに指名料やドリンク代が加算されれば、1日3時間でもかなり稼げるはずだ。ところが、村上は自分の心に整理がつけられないでいた。

「33歳にもなってこんな業界で働くことになるとは思わなかったです。今はこれしかないから頑張ろうと思っていますけど、基本的には嫌ですね。何かもう、これからどうなっちゃうのかなあ……。今のところはこの仕事を続けるしかないですね。だってお金ないし」

村上はラーメン屋を解雇された後、一時帰国しているが、両親や友達にキャバクラで働いている事実は打ち明けられなかったという。

「20代の頃は私がクラブで働いていたのはみんな知っていたけど、今この年になってまだやっているとかって絶対に言えなくて。何となく嫌です。人に胸を張って言える職業ではないですよね。20代の時は茶化して言えたんですけど、今は本当に崖っぷちでこうなってしまったから、なおさら言い出せなくて」

自己嫌悪に陥っているようだが、その語り口は妙にあっけらかんとしていた。

「逆にサラっと言わなきゃやってられないんです。考えすぎて嫌になっちゃったので」

村上の銀行口座の預金額は「ゼロ」。目の前の財布の中の所持金はわずか650バーツ(約2262円)だった。

「その日暮らしです。今お父さんが危篤と言われても、お金無くて帰れないですからね。超ヤバい!」

口では「ヤバい!」と言っている割に深刻さや悲愴感はやはり感じられない。しかし現実的には所持金が底を尽きかけており、何とか状況を打開しないといけないことも分かっているはずだった。これからどうするのか尋ねると「うーん、今は考えないと決めたんです。考えたら暗くなるんでやめますみたいな感じですね」と言う。

状況が逼迫しているにもかかわらず、「考えない」という彼女に対し、私は何と言葉をかけてよいのか分からなくなった。解決の糸口はどこかに転がっているのだろうが、それを見つけようとする気力さえ失われているように見えた。単に投げやりになっているだけなのか。


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