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「津波が来る直前、1分か2分手前の15時35分ごろに、移動開始して向かったのは、あろうことか橋のたもとの堤防に、要は川に向かって移動してしまった。行くなと言われたところに行ってしまった。避難している正面の川からあふれてきて。これは当時、津波をかぶっても助かった息子が全部話してくれました」(只野さん)

本当のことが知りたい、この悲劇を繰り返さないために

あの日から、6年以上の月日が経過した。

なぜ自分たちの大切な息子や娘は命を落とさなくてならなかったのか。親たちは今も真相究明のため声を上げ続けている。

震災後、石巻市教育委員会の説明は二転三転し、矛盾も多かった。遺族たちは証言の改ざんを疑った。文部科学省が立ち上げた第三者委員会も、途中で事実解明を放棄した形で2014年3月に終了した。

関係者の証言を記録したメモが廃棄されていたことも報道機関の取材でのちに明らかになった。

「(貴重な証言を破棄されたり、)証言を捏造されたりっていう扱いを遺族の親だけでなく、生き残った子どもにまでそれをやっている現状、これは絶対に許さないですよ。正しく伝えないとダメなんですよね。物語じゃなくて、美談にしちゃダメなんです。つらいことこそしっかり伝えなければならない。成功事例から学ぶことより失敗事例から学ぶことの方が断然多い。三陸は何度も何度も津波が来て、その都度人的被害を繰り返しているのは、つらいことを忘れろ、喋るなという部分があるんじゃないかな。だったら、繰り返さないように、つらいことこそしっかりと伝えていこうよと思うんですよね。つらいのは同じです。つらくないわけじゃないです。でもそれをやらなければ第2の大川小学校の悲劇が起きてしまう。だったらやらなきゃいけない」(只野さん)

なぜ、51分もの間、子どもたちを校庭にとどめたのか。

なぜ、すぐ目の前にある裏山への避難がなされなかったのか。

なぜ、「山へ逃げっぺ」と不安げに訴えた子どもの声は教師たちに届かなかったのか。


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