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唯一生き残った男性教師は、口をつぐんでいる。子どもたちの証言から、自ら山へ避難していたことがわかった。

「あの先生が心を病んでいるのは?を言わされているからだと思っている。あの先生は最初は本当の報告をしているんですよ。ましてや、自分は先に山に登っていっているんですから。それを、助かった4人の子どものうちの1人、3年生の男の子がそう証言しています。『自分が登ろうと思ったら先生はもう山の上にいて“こっちだこっちだ”って言ってた。誰にも助けてもらってないよ、自力で登ったんだ』。俺と哲也の前で、震災後にその子はそう話してくれたので」(只野さん)

真相究明のための訴えを起こした

児童23人の19遺族は、石巻市と宮城県を相手に真相究明のための訴えを起こした。

「金が欲しいのか」と心ない声にさらされることもあった。しかし、現場であの日何が起きていたのかが明らかになるまで自分たちは闘う、親たちの決意は固かった。

仙台地裁は昨年10月、教員らは津波の襲来を約7分前までに予見できたと認定し、学校側の過失を認めた。現在、仙台高裁で控訴審を争っている。

結審は来年1月23日だが、原告団が求めていた唯一生存した教師への尋問は一審に続き行われないことが決まった。

只野さんたちは「語り部」として大川小学校を訪ねる多くの人たちにあの日を伝える活動を続けながら、沈黙する学校側の門を叩き続ける。

佐藤さんは言う。

「宮城県の、特に石巻の学校の先生たちは、大川小学校のことを一切口にしません。震災から間もなく7年ですが、教頭会でも校長会でも、大川小の議題は一切ないんです。おかしいでしょって。学校で起きたことですよ。なのに裁判にまで発展しないと解決できないのかと。そういう組織なのか、教育の現場って。それが一番解せないですよね」


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